ブログ    ”NORA DONNA”

ムラサキクモマグサ

これは、北極圏を代表する花です

マキバチョウノスケソウ

この花も、北極圏を代表する植物です。



花たちが誘っている

 

 春盛りの五月、街を歩いていると、いたるところにツツジ、バラ、シャクナゲ、ミズキ、ジャスミンなどが誇らしげに花を広げ、私たちの視線を集めている。植えられた植物だけではない。道ばたの雑草をみると、そこにもタンポポやカタバミ、オオイヌノフグリ、ヒメジョオン、スミレ、ナガミノヒナゲシなどが、これらも誇らしげに花を咲かせている。花たちは、まさに私たちを誘い呼びかけているかのように咲いている。

 

 そう。まさに花たちは私たちに呼びかけているのである。とくに花たちが呼んでいるのは、飛んでいる虫たちである。花たちは、虫たちに来て欲しいのである。そのため花は、蜜や花粉などご馳走を用意して虫たちを招いている。だが花たちの本音は、虫たちに花粉を運んでもらって、おしべからめしべへ花粉を届けてほしいのである。

 

 花の中にはふつう、めしべとおしべがある。めしべとおしべが、別々の花になっていることもある。めしべは雌の、おしべは雄の生殖器官である。おしべの先には葯という袋があってその中には大量の花粉が入っている。花粉はいわば植物の〝精子〟にあたるものであり、これがめしべの先端についたとき、めしべの中にある〝卵子〟と合体して新しい種子ができ、それがやがて地に落ちて芽を出し、新しい植物となって植物が増えていくのである。虫たちは植物から蜜や花粉などの報酬を受け取って、受精を助けてあげている。だからこそ、花は虫に訪ねてきて欲しくて、目立つ色や形、あるいは芳香などを具えて虫たちを呼んでいるのである。その美しさに惚れて、私たち人間までもが花を愛し、わざわざ栽培までしているのである。

 

 

桜の花は美しい

 

 

日本の国花ともされる桜は実に美しい。桜の中でも最もよく目にするのは、ソメイヨシノという品種である。これはオオシマザクラとエドヒガンを交雑した、いわば雑種であるが、この桜は気温が15度になると、まさに春の訪れを告げるかのように咲き始め、その開花前線が季節とともに南から北へと進んでいく。この桜はすべての枝がいっせいに、ほとんど同時に花を咲かせることで、樹木全体が見る見る見事な花に覆われてしまう。加えて、ソメイヨシノは野生種ではなく人が植えたものなので、ふつうは街路樹として整然とが並んでおり、それが一斉に開花するのだから、道路がまるで桜のトンネルのようにもなってしまう。しかもほとんどのソメイヨシノの樹がクロ-ンなので、ある場所に植えられたソメイヨシノは、皆が同時に花を咲かせる。本当に言葉では言いつくせぬ見事さである。これほど大量の桜が植わっている国は、日本のほかにあるだろうか。また、花の季節ともなれば人々は桜の下で宴会を開き花見をする。これもまた寒い冬から解放された春の楽しみ方であろう。

 

 

桜は街路樹としてはもちろんだが、公園や人家の庭、ちょっとした空き地などにも植えられていて花を咲かせる。また山に行けばヤマザクラやカンザクラ、オオヤマザクラ、シダレザクラなど、さまざまな桜がある。ソメイヨシノの開花している期間はほぼ1週間ぐらいだろうか。盛りを過ぎると、桜はこれもまた一斉に散り始める。風に誘われるかのように、花びらが樹から離れて吹雪のごとく舞い上がり、飛び散ってゆく。これぞまさに花吹雪である。こうして散りぎわの美しいのも桜の特徴と言ってよいだろう。

 

 

咲き誇っていた桜の花が、あるときいっせいに散り果て、その散りぎわの美しさから、かつて戦時中の日本では兵士たちの戦死を散る桜になぞらえて、国のために花と散れと教えられていたものだった。まさに〝散兵線の花と散れという軍歌の一節があったのである。

 

 

ソメイヨシノの面白いもう一つの特徴は、幹桜である。ソメイヨシノの古木では枝先ではなく、太いゴツゴツとした幹から数輪の花が花束のようにかたまって咲いていることがある。幹から直接に花が出ていることから、幹桜と呼ばれており、これも美しい桜の面白い習性である。

 

 

 

 

ソメイヨシノの幹桜


 

人類社会の繁栄を築いたのは女性たちだ

 

 

 

 

 かつて地球には、今から十万年ほど前、現代人類(ホモ・サピエンス)と、それにきわめて近い種ネアンデルタール人が共存して棲んでいた。ネアンデルタール人は主にヨーロッパ大陸を生息域とする人類だったのに対し、現代人は主としてアフリカ中北部に生息していた。この二つの人類の間には、ときには交流があったものと思われ、両者の間には、あいのこ(ハーフ)も出来ていた。

 

ネアンデルタール人はもちろん直立二足歩行し、大脳は現代人よりは僅かに大きく、したがって知能は私たちと同様に高度に発達していたものと思われる。ところが、今からおよそ二万五千年ほど前、いつのまにかネアンデルタール人は地球から姿を消してしまった。絶滅したのである。絶滅の原因はよく分かっていないが、一つの仮説として、ネアンデルタール人は基本的に家族単位で離れ離れに暮らし、皆で交流し合ってコミュニティを作ることはほとんどなかったのではないかとされている。その当時、当然ながら乳幼児の死亡率は高く、子供が生まれても必ずしも皆が成人に達するものではなかった。そのため、家族単位で離れ離れに暮らし他の家族との交流も乏しかったネアンデルタール人は、次第に人口が減って、ついには地上から姿を消してしまったのではないかとされる。

 

それに対し、私たち現代人類(ホモ・サピエンス)は、特徴として皆で群れを作って交流しあうところがあった。住居をくっつけて集落を作り、朝に晩に仲間で話をし、また狩猟や食料採取などの作業を皆で協力し合って行っていた。

 

そんな中で、コミュニティの中心となったのは女性たちだった。女性は会話能力が発達していて、女性どうし出合うと直ぐに話を始める。しかも一度話し始めるとなかなか終わらない。そこへ通りかかった別の女性も加わって話はさらにはずむ。極言すれば女性たちは一日中話を続け、会話を楽しんでいる。そんな会話の中で、女性は自分の体験に基づいてお互いに教え合い、知恵を交換し合っていく。子供の育て方についての助言から始まって、病気や怪我をしたときの対処方法などを自分の経験に基づいて教えあう。また子供が病気やけがをしたときには、母親だけでなく、まわりの女性たちも手を差し伸べてその子を救おうとした。その結果、乳幼児の死亡率はネアンデルタール人に比べると格段に低かった。そればかりでなく、女性たちはうまく家事をこなす方法も教え合い、さらには集落のあり方や運営に関するさまざまな意見提言までも行い、それがコミュニティの運営や安定を助け、集落の繁栄、ひいては人類社会の発展を築く結果となった。かつては女性たちによって、今ふうにいえば政治までもが仕切られていたと言ってよいだろう。

もちろん人口の半分は男性である。だが男性は本来が怠惰な生き物である。日ごろからゴロゴロと怠けては寄生虫のように女性に頼っていた。だが女性にせっつかれて狩りや採集など野外の力仕事などはやっていたが、男性は仲間どうしで集まることもあまりなく、お互いに出会っても女性ほどに会話ははずまず、話はかんたんな挨拶や連絡程度に限られていた。ましてコミュニティの運営などには関心がなく、女性に主導され頼まれてときどき仕事を手伝う程度だった。もっぱら女性の補助役や力仕事の手先をやるにすぎなかった。

このように、現代人類の社会発展の基盤とこれまでの繁栄を築きあげてきたのは、ほかならぬ女性の発想と会話能力だったのではないだろうか。

 

 

 


 

 


 

人はなぜ戦争をするのだろう

 

 

 

 人は極度に知能が発達した動物である。その知能を使って、人は高度な文明を築き上げ、他の動物には見られない生活様式を発達させた。人はまた集団で社会を作り、お互いに協力しあいながら社会の発展を目指してきた。人は互助の精神が強く、弱い者を助け、皆が幸せになることを願い、その方向に努力している優しい生き物である。

 

 

 ところが、である。そんな人ではあるが、人はしばしば殺し合いをする。個人レベルでは、気に入らない相手を殺そうとする。また相手の所有物を奪おうとして相手を殺す。あるときは親が子を殺し、また子が親を殺す。仲間どうしで殺し合いをする。本来がやさしい性質と思われる人はなぜ同胞を殺すのだろう。人類の歴史は、まさに殺し合いの歴史といってよい。個人レベルの殺人から、部族、国家間の戦争を含む殺人まで、二十一世紀になった今も殺し合いは世界中で後を絶たない。

 

 

 殺人の技術も進歩し続けている。各国は、軍事技術を発達させ、効率よく相手を抹殺する方法を進歩させている。かつて、拳や石で殴り合っていたであろう戦いが、やがて槍や刀剣となり、さらには火薬を使った銃砲となり、ついには核兵器まで現れた。加えて航空機はもちろん、ミサイルなどの攻撃手段も進歩し続けている。

 

 

 なぜ人は、自国を守るために他国を武力で攻撃するのだろう。いったん国家間の戦争が起きると、数十万、数百万の人が殺傷される。その中には、戦争とは関係のない無辜の住民も多く含まれている。軍隊は、どれだけ多くの敵兵を殺したかを誇りあう。個人的に付き合うと、ふだんは本当に優しい人たちなのだが、戦となると軍人は平然と人を殺し、しかも殺した敵の数を競い合い自慢し合う。もっとも、兵士たちは敵である相手を殺さなければ自分が殺されるという立場にもあるから、相手を殺さざるをえないのである。

 

 

国家とはいったい何なのだろう。国家は武装して自国を守り、他国を武力侵略して自己の権益を広げる。そのときおびただしい数の同胞の生命が失われても、それは正当化される。

 

言語や文化や民族が違ったとしても、国家はなぜ本質的になごやかな関係を保っていけないのだろう。すべての人はホモ・サピエンスとして同じ種であり、国が違っても民族が違っても、お互い子をなせる関係なのにである。なのに、人はなぜ戦争という残虐な行為をやめられないのだろう。そして平然と、あるいは誇らしげに同胞を殺傷できるのだろう。戦争とは、人類が引き起こした最大の矛盾である。

 

 

 

 

 


 

 いま、地球は天候が荒れ狂っている。2018年夏、日本は異例なまでの猛暑だった。熱中症で搬送された人、またそれにより亡くなった人の数も記録破りだった。ところが、この冬はまた、この数日、異常なまでの寒さ、また各地ではこれも異例なまでの降雪を記録している。

 毎日がこう寒いと、トランプ大統領ではないが、温暖化なんてデッチ上げだともいいたくなる。だが、傾向として温暖化が進んでいることは事実で、温暖化が進行すると、地球大気の流れが不安定になり、天候は変動が激しく荒れ模様になるという。この冬は、まさにこうした気候の不安定化に見舞われているのだろうか。北極圏の寒冷気団が南下し、いま北東アジアを覆っているという。その結果、日本でも異常なまでの降雪となっているのだろう。

 

 

 

 


北米大陸西海岸の巨木林

 

 北米大陸の西海岸一帯には、北はアラスカ南部から南はカリフォルニア州北部にかけて、壮麗な針葉樹林が発達している。

基本的に低海抜地では、ダグラスモミ(Pseudotsuga menziesii)、アメリカツガ(Tsuga heterophylla)、アメリカネズコ(Thuja plicata)などから成る森林である。木が大きいことが特徴で、胸もとの高さのあたりで、直径が2メートルを超える樹木が密生して、見るからに荘厳な雰囲気がある。

 

 この森林帯は、西岸性針葉樹林帯と呼ばれていて、まさに北米大陸の植生帯の一つを代表するものである。この森林帯は、温暖湿潤な気候のもとに成立している。カナダ側に入ると、緯度は北緯49度以北になるにも関わらず、冬暖かく低地では月平均気温は氷点下になることはなく、それでいて夏は涼しい。これは、ケッペンの気候区分でCfbあるいはCsbとなる気候である。冬が雨季となり、低地では大量の雨が降る。夏は逆に乾燥している。

 

     この西岸性針葉樹林帯の、いわば頂点が、カリフォルニア州シエラ・ネヴァダ山脈に発達しているセコイアの森であろう。胸高直径が数メートルにもなるセコイアの巨木が、文字通り林立しているこの森は、まさに人を圧倒する迫力に満ちている。

もう、見上げるだけで物も言えなくなるほどの迫力である。自然とは、こんなにも凄いものかと、ただただ生唾を呑むほどの

森である。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

西岸性針葉樹林は、針葉樹の純林で樹木が密生し、

林内には昼なお暗い雰囲気が広がっている。

 

 

 

 

 

 

 

 

胸高直径が1メートルをこえるダグラスモミの巨木が

一面に生えている。ここは、林木の生産量からみても、

世界有数の森林帯である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

林内の様子。 ダグラスモミの大木が優占し、

アメリカツガが混生している。

 

 

 

 

 

 

 

 

林床にはナンブソウが密生していることも多い。

これは日本のナンブソウと同種である。

 

 

 

 

 

 

 

カリフォルニア州の中南部にかかると、気候が暑くまた

乾燥が強くなるため、針葉樹は姿を消し、乾燥に強い

oak (ナラの類)が散生する植生が現れる。オーク・

サバンナと呼ばれている。

 

 

 

 

 

 

 

オーク・サバンナを登っていくと、やがて、あの有名な

巨木、セコイアの森が見えてくる。この道路の両側に

見える樹林は、ダグラスモミとセコイアの混生林である。

 

 

 

 

 

 

 

 

やがてセコイアの森が近付いてきた。独特の荘厳な

雰囲気が漂っている。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

これが、世界一大きな樹木、ジャイアント・セコイアである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ジャイアント・セコイアの倒木。立っている人の姿から

この倒木の大きさが推察できる。立木としての高さは

100メートル近くはあったのではないだろうか。

 

文字どおり、林立するジャイアント・セコイアの巨木、なんとも荘厳な雰囲気が漂っている。


       地球という星

 

 私たちは、何気なく朝、目を醒まし、食事をし、

 

職場へあるいは学校へ出かけ、家事にいそしみ、

 

一日を終わる。全く、ごくごく当たり前の暮らしを営

 

んでいる。外を見れば、そこには木や草が生えて

 

おり、鳥や虫が飛んでいる。ある時はネズミやモグ

 

ラが姿を見せることもあろう。郊外の山へ行けば、

 

そこには、うっそうたる森があり、針葉樹や広葉樹

 

         さまざまな木が生えている。そこには狸や猿や

 

        鹿なども住んでいるだろう。

    谷あいには川が流れ、ところによっては水が溜まって池や湖もできている。そんな水はやがて海に集まる

 

    海岸へ行けば、青い海が果てしなく広がっており、寄せ波、引き波、水は大きく動いている。私たちをとりまくこうした自然、

そして日常生活。私たちは何の不思議もなく、 しごく当たり前のこととして、そんな世界で暮らしている。 

 

 

 ところが、宇宙の視点から見れば、私たちを含む多くの生き物がここにいることは、本当に起こり得ないと言っても良いほどの、かぎりない偶然の奇蹟の結果と言ってもよく、十億円の宝くじに当るよりもはるかに低い確率の、あり得ないほどきわめて稀有な偶然の出来事なのである。その奇蹟を起こしている要因は、実は地球という惑星の位置である。 

 

太陽系には水星から始まって冥王星を含む九つの惑星がある。それぞれ、太陽とのある一定の距離を保ちながら恒星太陽の周りを回っている地球は太陽の内側から三番目の惑星、太陽との平均距離は約一億四千九百六十万キロメートル。この距離の絶妙な偶然が、地球に多種多様な生物の繁栄をもたらしたと言ってよい。その決定的な理由は、地球における液体の水の存在である。

 

  水(H2O)は、この宇宙どこにでも存在する最もありふれた存在である。ところが、ほとんどの天体では、水は気体の水蒸気か、固体の氷の形で存在する。燃えたぎる恒星ではもちろんのこと、その近くにある惑星でも、表面温度が高すぎて水は液体の形をとれず水蒸気として存在し、いっぽう恒星から離れた位置にある惑星では、逆に表面温度が低すぎて水は、固体の氷として存在する。宇宙に存在するほとんどの天体では、水はこのどちらかの状態である。 

 

ところが地球だけは、太陽からの距離からして暑からず寒からず、水が液体の形で存在できる、まさに偶然の奇跡ともいうべき位置にあって、そこには液体の水が豊富に存在している。地球はまさに水の惑星なのである。地球がほんのちょっとでも太陽に近かったら、あるいは遠かったら、液体の水は存在せず、その結果として私たちも存在しなかっただろう。 

 

 水は、きわめて効率のよい溶媒である。太古の地球では、水の中ではさまざまな原子や分子がランダムにくっついたり離れたりしながら、単純な物質が次第に複雑な化合物へと進化し、やがて有機化合物と呼んでもよいさまざまな物質が現れたのだろう。そのとき、物質進化の主たるエネルギー源として働いたものは、海底火山周辺の熱水鉱床の熱であったのだろう。そのほか、太陽エネルギーも使われたものと思われる。 

 

 宇宙の本質的な性質として、物質は単純なものから複雑なものへと進化し、さらに次第に組織化していく。素粒子がつながり合って原子を作り、原子は原子どうしで手を取り合って分子を、分子も次々と手をつないで次第に複雑な化合物を作り出していく。世界は、単純から複雑へ、そして複雑化しながらやがて組織を作っていく。すなわち、物質は進化し複雑化し、さらには組織化、システム化する。それとともに、それぞれの物質は特有の機能を示すようになる。

 

有機物質を作っている基本的な元素は水素、酸素、炭素、窒素であるが、水素は一本、酸素は二本、窒素は三本、炭素は四本の腕を持っている。この四種類の元素は、お互い非常に〝仲がよく〟、出会うとお互いに直ぐに手をつなぎあって群れを作る。またつないだ手を放しては別の相手とまた手をつなぐ。こうして無限といってもよいほど、さまざまなつながり方をして多種多様な有機物質を作っていく。

 

 今から四〇億年以上も前、原始地球では表面を被う液体の水の中で現れたさまざまな有機化合物の中でも、とくにいま私たちが ヌクレオチドと呼んでいるような有機化合物が現れ、お互いにつながり合って、長い鎖のような物質が現れたことが、生命出現への端緒と言ってよいだろう。さらにそんな長い鎖が平行に向かい合って、その間に橋のようなつながりができ、さらに鎖がねじれて、やがて長い長いらせん階段状の物質が出来上がった。いま私たちが核酸と呼んでいる物質である。核酸の中でもとくにDNAを構成する鎖の輪に相当する単位の物質ヌクレオチドは、実に数十億個とつながり、数十億段のらせん階段を作っている。とは言え、その全体の長さは一ミリメートルにも達しないほど微小なものである。

 

 

DNAが現れたことで、地球には避けようもなく生物が出現することとなった。らせん階段状のDNAは、あるとき階段の部分から二つに裂け、それぞれ片方を鋳型としてまた同じものを作り、 それがまた分裂して同じものを作る。こうして核酸には倍々ゲームで無限に増えていく性質がある。この自己複製性、自己増殖性、これこそが生物の本質である。

 

 

やがて地球史のあるとき、DNAのまわりには、さまざまな有機物質がくっついて、ひとまとまりの微小な塊ができたことが、地球上最初の生物あるいは細胞の原型であろう。肉眼ではもちろん見えない微小なこの塊が、DNAの分裂とともに分裂し、それぞれがまた有機物をくっつけて元のような塊に戻る。こうしてDNAを含むこの有機物の塊は分裂しながらも倍々ゲームで無限に増えていったのではないだろうか。こうした化学反応は水の中で、まさに水を溶媒として進んでいった。

 

地球にDNAなる物質が現れておそらく四十億年以上は経っているが、DNAを包み込む初期の原始細胞は、周りにあった有機 物質を細胞内にとりこんで、それを材料として細胞の部分を作っていった。また不要になった物質は細胞の外に放棄して細胞の平衡を維持していった。細胞は、ひとひとつ単独で生命としての機能と特性を持ちながらも、くっつきあっては群体を作り、細胞の集まりとして原始海洋の中で生きていたのであろう。そのうち集まりあった細胞の群体の間に、ある種の分業ともいうべき機能の違いが生じたとき、単細胞の生物は多細胞生物へと進化したのであろう。

 

いっぽう、DNAにはゲノムと言われる生物の作り方とでも言った情報、生物の設計図ともいうべきものも含まれていて、この設計図にもとづいて多種多様な物質が集められ、つながりあってシステム化し、生物が作られていった。太古の昔、地球上ではこうしてDNAが次から次へと自己複製を繰り返しながら原始生物 が増えていったのではないだろうか。

 

だがDNAの情報は正確に複製されながらも、ときおりランダムな間違いが起きる。すると情報の記憶にも僅かな違いが生じ、これにより生物には変異が生じるのである。親から生まれた子供は、親と似てはいるが全く同じではない。この僅かなズレはランダムな変異であるが、この変異に対して環境圧が働いて変異を選択するのである。その結果、生物は進化と分化をすることになった。こうしてDNAはランダムな分裂と変異を繰り返しながら、三十八億年に及ぶ悠久の進化の歴史の中で、地球上には実にさまざまな違いをもった生物が現れた。地球上には現在、八百万種を超える生物が生きているといわれている。

 

このように、地球が多様な生物を宿す天体になった最大の理由は、地球に液体の水が存在したことである。もちろん今も地球は 液体の水にあふれている。あまりにもありふれた存在であるため、私たちは液体の水が存在する意味を気づかない。気づいても意識しない。

 

私たちの体を考えてみよう。人間の体も約七〇%は水で出来ている。端的に言えば、人は人型の袋にいっぱいの水を詰め、そこにさまざまな有機化合物を入れたものと考えてもよいだろう。入れられた有機物が勝手に動きまわって、くっついたり離れたり、そこでさまざまな化学反応が発生し、それが人間の生理現象として現れ、その総合の上で人間は生きている、あるいは生かされていると言ってよいだろう。

 

ただし水をいっぱい詰めるとしても、それは純水ではなく、塩分を含んだ水になる。ただしその時の塩分濃度は約〇・九%と、現在の海水の塩分濃度約三%に比べると、はるかに薄い塩分濃度 である。おそらく、私たちの遠い祖先が、海中生活から陸上へ進出した頃の海水の塩分濃度がそのくらいで、その濃度を以後ずっと維持し続けているのであろう。

 

だからこそ、私たちは常に大量の水分を摂取している。水を飲み、物を食べる。食べ物の中にも大量の液体の水が含まれていて、それを私たちは取り入れているのである。当然のことながら、液体の水無しに私たちは生きていけない。

 

私たち人間の体は約三七兆個の細胞から出来ていると言われる。この三七兆個の細胞は、それぞれが独立して生きており、人体の中で決まった役割を果たしている。私たちは一人の人間として、ものを考え判断し行動している。朝起きて朝食を取り、自宅を出て乗り物に乗り、職場あるいは学校へ行く。仕事であれ勉強であれ、一日のなすべきことをなして帰宅する。夕食を取り、休養をし、一日を済ませて就寝する。すべて自分の判断に基づいて行動していると思っている。ところが、私たちの体で、本当に生きて活動しているのは細胞である。人体を構成する三七兆個の細胞が、それぞれ決められた場所で決められた役割を果たしていることで、体全体の機能が保たれ、一人の人間として生きているのである。

 

 

このように体を構成する三七兆個とも言われる細胞の一つ一つが生きている本体なのである。皮膚を作る細胞は扁平な形となって体を保護し、血液細胞は全身をめぐって体中の細胞に酸素を送りまた廃棄物としての二酸化炭素や老廃物を収集し、神経細胞は繊維状に長く伸びて情報を瞬時に伝達し、筋肉の細胞は神経からの指令に基づいて収縮し、さまざまな動作を行っている。消化菅を構成する細胞は酵素を分泌して食物を分解し吸収する。血管、各種内臓を作っている細胞であれ、その一つ一つが生きている本 体であり、それらおびただしい数の細胞の調和のとれた連携作業の結果として私たちは一人の人間として生きている。個人としての自分はその壮大な働きの総表現にすぎないのである。したがって、自分が一人の人間として考え判断したとしても、それは無量無限の細胞の活動の総和であり、システムとしての自分の表現にすぎないのである。そしてその膨大な量の細胞を支えているのが液体の水である。

 

 

生物の歴史という視点から見ると、かつて海の中で発生した生命(細胞)は今も常に水に包まれていることでのみ存在できる。したがって私たちの体も、いわば水に満たされた器の中に三七兆個の細胞が浮遊して、それぞれ決まった働きをしているものと言ってよいだろう。その総和としての表象が自分であり、自分の判断と行動として現れているのである。

 

いまひとつ、生物の基本的な性質として自己増殖という働きがある。それは基本的にはDNAの引き起こす機能である。DNAが二つに分かれ、半分になったDNAは、それぞれが小さな細胞に収納されながら繫殖子として、半分になった相手を求め合体してもとに戻ろうとする。それが生物の生殖の原型と言ってよい。

 

 

生物にはすべて、基本的に雄と雌がある。もともと生物は自己増殖を続けていたが、それでは遺伝子の変異の幅が限られ、多様な環境や環境変動への適応に、やや弱い所があった。そのうち、 他の個体との遺伝子を交換し合うことで遺伝的多様性が得られ、多様な環境への適応度が高くなったのであろう。そのうちに、機能的に数多くの繁殖子を作って自分の遺伝子を広く提供する個体と、いっぽうで繫殖子を少なくしながらも繫殖子の細胞に遺伝子だけでなく栄養を蓄え、合体したDNAが順調に育つような工夫を具えた繫殖子を提供しようとする個体も現れ、こうして雄と雌の性分化が始まった。雄の繁殖子を精子、雌の繁殖子を卵と呼び、このふたつが合体することで新しい個体が作られ、生物としてこの世界にデビューすることになる。 

 

 

私たちが異性を恋し愛するのも、DNAが自己を複製し増殖しようという働きの表われと言ってよいだろう。お互いにお互いを求め、遺伝子を提供し合って子を残し、その子を大切に育てる。子を愛し育てることも、言ってみればDNAが倍々ゲームで増え

ようとする、その働きの表われと言ってよい。私たち人間を含むすべての生物は、基本的にDNAに支配され操作されて生きているのである。こうした働きもすべて、液体の水を媒体として、液体の水が存在できる環境の下でだからこそ行われているのである。

 

 

だがこうしておびただしい種類の生物が地球上に存在すること。そのこと自体が宇宙から見れば、起こりえない偶然の結果と言ってよい。先述したように、燃えたぎる恒星太陽からの絶妙な距離が地球に液体の水の存在を可能にし、その水を媒体として複雑な物質の進化が起こり、その結果として自分自身を含む多種多様な生物に地球は〝覆われた〟のである。太陽からの、その絶妙な距離を「ハビタブル・ゾーン」と呼んで、生命が存在できる域としている。もし地球がもう少し太陽に近かったら、あるいは遠 かったら、液体の水は存在できず、したがって生命は発生しなかったであろうし、当然今の自分はここにいなかっただろう。

 

 

 こうしてみると、地球は宇宙の中でもきわめて特殊な天体であり、稀有な存在と言わざるをえないのである。そうして、私たちがなんの不思議もなく営んでいる日常の生活、宇宙的にはこれこそまさに起こりえない奇蹟中の奇蹟と言ってよい。

 

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北風と太陽:太陽は神様だ 

 

 

 イソップ物語に「北風と太陽」という話がある。北風と太陽が、どちらが強いか力

比べをしようとして、通りかかった旅人のコートを脱がせようとした。先ず北風が、

旅人に向かって力いっぱい風を吹きつけたが、旅人はコートを脱ぐどころか、ますますしっかりとコートを体に押さえつけてしまい、結局脱がせることはできなかった。

今度は太陽の番である。太陽は旅人に向かって、ちょっとばかり暖かさを送った。すると旅人は、嬉しそうに太陽を見上げ、来ていたコートを脱いでしまった。明らかに太陽の勝ちである。 

 

 この話を持ち出すまでもなく、私たち地球に生きているすべての生き物は太陽に養ってもらっていると言ってよい。確かに地球の生物は太古の昔、太陽とは関係なく深海の熱噴水鉱床付近で発生した。その生物は、いわゆる従属栄養型の生物で、地熱で合成されていた有機物質を食料として生きていた。だが、もしこの状態がその後もずっと続いていたら、生物は既存の有機物を食い尽くして、やがては絶滅していただろう。すると当然、今の私たちは存在しなかったことになる。

 

 

 ところが今から三十五億年ほど前、地球に画期的な技術が出現した。原始的なバクテリアの一部が、地球にありふれた水と二酸化炭素を、太陽の光エネルギーを使って結びつける革新的な技術を編み出したのである。光合成の始まりである。そのためには、まず葉緑素がなければならなかっただろうが、おそらく元素どうしのランダムな離合集散の結果、偶然にも葉緑素が形成され、その結果、葉緑素が太陽エネルギーを使って、水と二酸化炭素とい う無機物質を結び付けて有機化合物を作るという、はなれ技がここで確立されたのである。

 

 

光合成を実際に行った生物は、葉緑素により体が緑色に染まった〝植物〟という新しい生き物だった。その結果、地球では糖という有機物質が瞬時にしてかつ大量に生産されることになった。糖の中には、光合成の過程を通して太陽のエネルギーが詰め込まれている。こうして作られた糖は、それを作った生物、すなわち緑色の植物だけでなく、捕食という関係を通して、すべての生物に分配供給されることになり、生物は細胞の中で、この糖を再び水と二酸化炭素に分解することで、そこに詰め込まれている太陽エネルギーを開放し、それを生活のエネルギーとして使っているのである。このように、地球の生物は生きるエネルギーを太陽からもらっている。動物はもちろん光合成をおこなわないが、植物を餌とすることで、さらには食物連鎖の関係を通じて植物を通じて得た太陽エネルギーを使っているのである。 

 

 

私たち人間も、ものを食べることによって生きるエネルギーを得ているが、このエネルギーも、もとをただせば植物によって固定された太陽からのエネルギーである。こうして地球上の全生物は太陽によって生かされている。太陽こそ、私たちを生かしてくれている神様なのである。

 


 

不思議な予兆・樽前山の噴煙

 

 

 

2018年9月6日、午前3時07分、北海道は最大震度7に達する地震に襲われた。震源地は胆振地方中東部で、マグニチュードは6.7という規模だった。それにより北海道ほぼ全域で停電が発生し、全道がまさにブラックアウト状態になった。また胆振地方では山々が崩壊し、多くの家屋がその下敷きになって潰され、深刻な被害が発生した。北海道胆振東部地震という地震である。この地震には何か予兆のようなものはなかったのだろうか。

 

 

 少々古い話になるが、2011年3月11日、東北地方の太平洋沖で巨大な地震が発生した。マグニチュード9.0というこれまでに例のない最大級の地震で、同時に大きな津波が三陸 海岸を襲い、岩手県から宮城県、福島県の太平洋沿岸部に最大規模の被害が発生し、多くの人命が失われた事実はよく知られている。

 

 

 実は、その地震の四日前のことである。私は3月9日から札幌で開かれる生態学会に参加するため、3月8日、東京から札幌へ向かっていた。その日、羽田空港を全日空067便で午後2時に発ち、千歳空港には午後3時30分、定時に到着、千歳空港からはそのまま電車で札幌へ向かっていた。電車が空港駅を発車して地下トンネルを抜けて地上に出、千歳駅を過ぎたあたりで、よく晴れた空の下、樽前山の雄姿が望まれた。ところが不思議なことに、そのとき樽前山の山頂から真っ黒い煙が立ち上っているのが見えたのである。たぶんそのとき風がなかったのだろう。煙は、まるで煙突から上るかのように、まっすぐ数十メートルの高さで立ち上っていた。

 

 

樽前山は、調査等でよく訪れ、山頂近くまで登ったことのある山である。ところが本来は、樽前山の山頂ドームから白い噴煙がとぎれとぎれに、横向きに吹きだしてはいるが、黒煙が立ち上るという状況はかつて見たことがなかった。そのときは無風状態だったのだろうか。煙は煙突から立ち上るかのごとくに、真っ直ぐに上昇していたのである。奇妙な光景だなとは思いつつも、だがそれきりそのことは忘れていた。

 

生態学会は、翌四月九日から予定通り始まった。参加者はそれぞれの分科会に出席し、議論を戦わせていた。大会三日目の3月11日のことだった。いつものとおり、皆はそれぞれの分科会で発表を聴き意見を述べていた。昼休みも終わり、午後の分科会は一時から始まり、私もある会場で発表を聴いていた。

 

そのときである。突然大きな揺れが会場を襲った。地震だ。皆は一斉に会場の外に出た。地震は数回にわたって大きな揺れを繰り返したが、やがて鎮まった。分科会の議長が、様子を聞きに会場から出て行ったが、しばらくして戻ってきて、東北地方で地震があったそうだが、ここでは被害もなく治まったので、会を続行すると言って、再び分科会は再開され、やや遅れたとはいえ、無事に予定は終了し解散となった。

 

 

食事をして宿に戻り、テレビのスイッチを入れたところ、東北の三陸地方を中心に大変な被害が出ていることを知り驚いた。ことに三陸一帯では巨大な津波が襲来、あの一帯では多くの死傷者を含め甚大な被害が出ている模様だった。

 

 そのとき私はふと思い出した。樽前山から立ち上っていたあの見たこともない黒い噴煙、あれはもしかしてこの大地震の予兆だったのかもしれない。実際に地震が起きる3日も前だが、たぶんプレートには圧力が加わって樽前山の地下深くで変化が起き、黒煙が噴きだしたのだろうと、私は今でも思っている。

 


   極北の地、そこには清涼な自然が広がっている。大地を覆う氷床、そして谷あいを流れ下る氷河。一見、荒涼たるツンドラ景観。だがそこにも、さまざまな生き物生きている。地を這うような植物。草丈こそ小さいが、一人前に美しい花を

かせている。

 

  そんなツンドラにも、いろんな動物が生きているジャコウウシやホッキョクグマはもちろん、ホッキョクキツネ、ホッキョクウサギ等々。近づくと、ある距離を保ってジッとこちらを観察してくれる。ここでは、人間が得体のしれない外来者なのだ。

 

 

腐った林檎 

 

 

 宇宙から地球を眺めたら、地球はまさに腐った林檎のようなものではないのだろうか。林檎を放っておくと、ふつうはカビが生える。はじめは小さな灰色の点のようなものが現れるが、次第にその点が広がって、ついには大きな斑状のカビの塊になる。

 

 

宇宙から地球を見ると、地球はまさにそのように見えるのではないだろうか。海洋はともかく、陸域では、本来一面の緑色の大地の広がりの中に、あるとき灰色あるいは茶褐色の小さな点が現れ、それが時間とともに次第に大きくなり、ついには灰白色の斑状の広がりが広く地表面を被うようになる。地球表面には、まさに腐った林檎に現れた腐斑のようなパターンが時間とともに広がり、さらにそれを精査すると、その灰色の広がりは、さまざまな高さの突起物がブツブツと一面に集まっており、その間には筋状の線が縦横に走っている。

 

かっては一面の緑だった地球陸域の表面には、いつのまにかそんな灰白色の斑紋が広がり、それは月日とともに拡大しているようだ。たぶん、そこにはある種の生き物が集まっていて、緑の大地の表面を灰色あるいは茶褐色のブツブツに変えてしまっているのではないだろうか。地球表面をそんなブツブツの集合体に変えてしまった生き物とは、いったい何なのだろう。

 

林檎を腐らせているのはバクテリアだけど、地球という星を腐らせているのはヒトという生き物だ。ヒトという生き物が大繁殖して地球本来の表面を破壊し、それまでには見られなかった構造物を作り、それが大群落となって地球を腐った惑星にしているのだ。

 

 


 

 

春浅い釜池  

 

 

 

  富山県のとある町、上市町の山あいに、深い森に囲まれた静かな池がある。釜池と呼ばれる池である。 だが、この池には哀しい伝説が・・・。

 

 

 

  むかし、この池のほとりには、ときどきどこからともなく 美しい娘が現れて、悲しげに池面を見つめ、時には涙を流していたという。

 

 

 

 それは、ある満月の日だった。まだ月の昇らぬ夕暮れ時、池のほとりに立った娘は、いつになく激しく 泣きじゃくっていた。たまたま、通りかかった村人が娘に話しかけ、わけを聞いたところ、娘が言うには、 私はこうして人の姿をしているけれど本当は人ではなく、この池に棲む大蛇なのです。

 

 

 

 ところが今日、満月が昇るころ、私は大蛇に戻って天に戻らなければならないのです。そのとき、 天地がひっくり返るほどの大嵐になるでしょう。私は、そんなことはしたくないし、ずっとこの美しい 池のそばで暮らしたかった。でも、それが私の運命なのです。

 

 皆さん、どうかすぐにこの池の近くから 逃げてください。

 

 

 

 その夜、満月が昇るとまもなく、空一面に暗雲が一挙に広がり、激しい稲妻と雷鳴がとどろき、 かつて村人が経験したこともないような大嵐となった。村のあちこちで、小川ははんらんし、山は崩れ、 斜面は流され、田畑は崩壊し、村は大災害に襲われた。

 

 

 

 あれから何百年たったのだろうか。今では池は清らかに静まり、四季おりおり美しい姿を見せて くれている。池のまわりには山桜や雪椿の花も咲き、ときおりカモシカが現れては、のんびりと池を 泳いでいる。それは、自然に満ちた富山の、実に美しい風景である。                                                                                                                                                                                            (北日本新聞より抄約) 

                                               

 

 

  

 

 

 

 

 

  

 

 

 


水の惑星:地球



 

 

立山連峰の標高2500m以上の一帯には、

ハイマツの繁みが広がっている。ハイマツは、

五葉松の一種で、葉が5本、束になってついている。

 

 

標高が1500mふきんから、ダケカンバが現れ、山腹の斜面を被っている。雪の多い斜面では、雪圧で

幹が曲がり、ねじれた恰好をみせる。

 

 

 

立山の標高およそ1500m~2200mの間に

針葉樹林帯が発達している。主たる樹種は

コメツガ、オオシラビソなどであるが、トウヒ

も認められる。

 

 

 

スギは、低地から標高2000mふきんまで、

広範囲かつ大量に生育している。

中には、おそらく樹齢数百年という老大木もあり、

一種独特の風格を見せている。

 

 

イワウチワ

 

森の木陰にひっそりと咲くイワウチワ。イワウメ科の

植物だ。


                                   

           

幸せな臨終 

 

 

 臨死体験を経験した人の記憶によると、臨死状態で人はきわめて穏やかで幸せな心地になるとか。まるで光に満ちたのどかな花園を歩いてでもいるような、そのままそこに自分を投げ出したくなるような気持になるという。  

 

実際、脳波を計測してみると、ふつう人は心臓が停止しても脳波だけは、しばらく続けて

測できるという。この時点で人は、死に臨んで和やかな気分を経験しているのだろう。 

 

 すると死とは、その直前までは苦しいものかもしれないが、最後の瞬間、私たちは静かに

平和な気分で死を迎えられるのではないだろうか。 


新緑に彩られた ダケカンバの森 (北海道、十勝岳にて)

         

 

             人は余生期の長い動物だ  

 

 多くの動物の一生は、成長期と繁殖期の二つの段階に分けられる。成長期とは、生まれて餌を食べながら、体内では盛んに細胞が増殖し、さまざまな組織や器官が作られ、次第に体が大きくなり成体に近づいていく段階である。特に体の機能として、その動物が生殖可能に達する

までの段階を成長期という。それに対し、体内で成熟した精子や卵を、交尾という行動を通して合体させ受精卵を作り、じっさいに子供を作れる状態にある段階を繁殖期という。この二つを合わせたものが、動物の基本寿命である。  

 

 多くの野生動物は、成長期を経て繁殖期に達し、交尾をして子供を作ると動物としての役割を終わり、ここで一生を終える。ところが進化した哺乳動物の中には、その後なおしばらくは老いた状態で生きているものもあるが、この残りの段階を余生期と呼んでよいだろう。  

 

 進化の進んだ私たち人類はどうだろう。人類は、ほぼ十八歳前後で成長期を完了する。つまり成長期はほぼ二〇年といってよい。その後、子供を作れる期間、すなわち女性の出産可能な期間は四〇歳くらいまでだろう。すると繁殖期が二〇年余。合わせて四〇年程度が人類の基本寿命といってよい。  

 

 ところが人類の平均寿命は、世界的に見て八〇歳ほどである。日本人の場合、統計的に見て女性が八六歳、男性が八〇歳、男女平均すると八四歳となっている。すると人類は、四〇歳で基本寿命を終えたのち、さらに四〇年の余生期を持っていることになる。これほど余生期の長い動物は、人類以外にはないのではないだろうか。  

 

 人類が基本寿命の倍近くの余生期を持っているにはわけがある。まず、他の動物と違って人類は高度な文明を発達させた。その中には、医学や薬学も含まれており、人が傷ついたり病にかかった時には、それを治す薬や医療技術を使って直ちに対処できる。病の原因となっている病原菌を殺したり、栄養を補給したり、患部を治療したり炎症を抑えたり、状況に応じてさまざまな形で対処し病を治すことで、野生動物では死亡する状態でも人は生き延びることが出来るのであるこうして余命期が長く保たれる。  

 

 それに、人は愛情深い動物で、周りにいる人の苦しみを見逃せない。できるだけ苦痛を取り除いてあげようと努力する。そのことが、文明の発達とあいまって、人の余生期を長くさせている一つの重要な理由であろう。 

 

 いまひとつの理由は、人は年齢を重ねれば重ねるほど、さまざまなことを経験し知識が豊かになる。こうした知識は、基本寿命を過ぎても消え失せるどころか、生きていればさらに知識や経験を積み重ね、それに基づいて余生期には人生経験の比較的少ない若齢世代よりも、より広い視野で適切な判断が出来ることになる。  

 

 そのため余生期の人は、人生経験に基づいて社会にいろいろと貢献ができ、むしろこうした余生期の人々からの示唆やアドバイス等は社会にとってきわめて有用なところがある。つまり、余生期とは言えその段階の人々は、その立場から社会に少なからず貢献し、役にたっているのである。 さらに余生期の人々、ことに女性は、自分の経験から孫やひ孫たち、すなわち子孫の養育も巧みで、そのことによる社会への貢献も大きなものであろう。  

 

 こうして人類は、余生期であっても、いろいろと社会に少なからぬ貢献ができ社会からも期待されている。だからこそ、そのことが余生期の生き甲斐ともなり、人類は基本寿命をはるかに越えた長い余生期を生きることができるのだろう。それも人類の大きな特徴と言ってよい。

 


         

               私たちは歌劇「夕鶴」の〝与ひょう″か 

 

 

 歌劇「夕鶴」の中の与ひょうという男は、矢に射られて苦しんでいる鶴を、「なんの報いも求めないで矢を抜いて」あげる、もともと心やさしい純朴な男だった。そんな与ひょうのやさしさに惹かれて、矢を抜いてもらった鶴は、人間の女に姿を変え、与ひょうの家に入り込んで与ひょうと暮らすようになる。 

 

 

あるとき、つうと呼ばれるようになったその女は、与ひょうのために自分の翅を抜いて「千羽織」と呼ばれる美しい布を織ってあげたところ、与ひょうはその美しい布を見てすごく喜んでいた。 

 

 

 ところが、その与ひょうは、いつのまにか運ず、惣どという俗世界の金儲け人にそそのかされて金の魔力に取りつかれ、金儲けのために、つうに千羽織を織ることを強要するようになる。 

 

 

 

そんな与ひょうに愛想を尽かしたつうは、あるとき最後の「千羽織」を織って与ひょうに渡し、自分は再び鶴となって与ひょうの家を出、空へ舞い上がっていく。ところが、羽の大部分を抜いてしまったつうは、なめらかには飛べず、ふらつくように空へ飛び立っていった。

 

 

 

 それを見つけた近所の子供たちは、「つるだ、つるだ、つるが飛んでる」と騒ぎ立てる。聞きつけた与ひょうも空を見上げる。確かにそこには一羽の鶴が、だんだんと高く、そして遠くの方へと飛んでいくのが見えた。だがその飛び方は明らかに、ふらふらとよろめくような飛び方だった。

 

 

 

 与ひょうは思わず、「つうよー、つうよー」と叫ぶ。だがその飛び方を見て与ひょうは、「よたよたと飛んでいきよる」と、立ったままいつまでも悲しげに眼で追いかけていた。その最後のシーン、涙が止まらなかった。 

 

 

 

資本主義制度の社会に生きる私たちも、いつのまにか金の力に支配され、金儲けに明け暮れ、本来の純心なやさしい気持ちを失ってしまっているのではないだろうか。あの歌劇は、そんな人間の宿命を描いた象徴的な作品といってよいだろう。だからこそ、いまさらのごとくに、あの歌劇に惹きつけられるのだろう。

 


これは、厳冬のDiamond Head です。

Diamond Headは、Vancouverの北にあり、

海岸山脈(Coast Mountains)の一部をなすものです。